1993-05-26 第126回国会 衆議院 予算委員会 第26号
そこで、私は文教委員に配属をされまして、その文教委員で、昭和三十四年当時、文教委員長が大平さんだったんじゃないかと思いますけれども、要するに文部大臣松田竹千代と言われる、テキサス無宿という別名をとっておられました、アメリカでいろいろと仕事をしてこられた方が文部大臣で、そうして宮澤総理はそのときに文部政務次官として、私は、昭和三十四年の五月ごろでございますか、初めて実は委員会で宮澤総理にお目にかかったわけでございます
そこで、私は文教委員に配属をされまして、その文教委員で、昭和三十四年当時、文教委員長が大平さんだったんじゃないかと思いますけれども、要するに文部大臣松田竹千代と言われる、テキサス無宿という別名をとっておられました、アメリカでいろいろと仕事をしてこられた方が文部大臣で、そうして宮澤総理はそのときに文部政務次官として、私は、昭和三十四年の五月ごろでございますか、初めて実は委員会で宮澤総理にお目にかかったわけでございます
その後松田竹千代文部大臣だったと思いますが、教研集会に御出席になられたことがございます。また三木内閣の文部大臣を務められた永井道雄さんは、教研集会の講師を務められたこともあると私は、これは間違いかもしれませんが、たしかそうであったと記憶をいたしております。
これは難民を受け入れるための、初代の理事長は松田竹千代先生のようでありますけれども、これがやっております事業と、日本が受け入れをいたします法律なりどのような形で受け入れをしておるのか、ちょっと労働省の方、お聞かせ願いたいと思います。
大体この法律は、三十三国会、日本安全会法の可決された際に、将来掛金は国・自治体の責任で給付できるよう努力すると松田竹千代文部大臣の答弁がついておるわけですが、この値上げについてはどうでしょうか。
これは、故人になられましたけれども松田竹千代議長が代表になられまして、ベトナムの孤児を育成し、そして、できればいろいろの訓練を与えた後にわが国に連れてきて再生を図らせたい、こういうことで、非常に崇高な精神のもとにスタートをいたしました。われわれ議員も全員が歳費の一部を約五年間にかけまして拠出をいたしまして、何億かの金をプールいたしました。
○木内説明員 ただいま石井委員御指摘の孤児の施設が、松田竹千代先生、それから石井先生初め有志の方々の御支援で実は順調にいっておったことは御指摘のとおりでございます。ただし、遺憾ながら昭和五十年にサイゴンが陥落いたしまして後、ベトナム政府の接収するところとなっております。
次に、議長から、元議長松田竹千代先生、元議員廣瀬正雄先生に対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長が弔詞を朗読されます。 以上でございます。
五分以内で申し上げたいのでございますが、先日議長松田竹千代先生並びに坂田文部大臣の御好意もありまして、私が子供のガンを救いたいということにつきまして、特別に閣僚会議に上程してくださいまして、御懇篤な答弁書をいただきまして、感謝いたしております。
藤枝副議長は、去る十六日、松田竹千代議長とともに、石井議長、小平副議長の辞任のあとを受けて就任されて、まだわずか十日間しかたっておりません。
「松田竹千代 大阪府第五区選出、」「明治二十一年二月大阪府に生る、」「紐育」と書いてありますが、これはニューヨークだと思うのです。「紐育大学にて経済学社会学を研究、同大学より名誉法学博士号授与、昭和三十九年勲一等瑞宝章を授与」、「伊国」と書いてありますが、これはイタリアだと思います。「伊国より功労大十字騎士章受章 我国初の隣保事業たる柏木有隣園理事等となる。」
このたび、各位の御推挙によりまして、不肖松田竹千代はからずも議長に当選いたしましたことは、まことに光栄に存ずるところであります。 私は生来不敏な者でございますが、一たび議長の職につきましたからには、国会の権威を高めるため、国会の正常かつ円滑なる運営をはかり、よき慣行を樹立することに最善の努力を傾けたいと存ずる所存でございます。
また、小平久雄君が副議長に就任されたとき、本院では、自由民主党の最長老である松田竹千代議員が、心を打つ祝辞と激励を述べられたのであります。すなわち、「小平君は、きわめてすぐれた人格の方であり、また議会政治に対する多年の経験と高邁な識見を有せられ、副議長の重責を託するにまことにふさわしい方であります。
同日 委員塩谷一夫君、中山マサ君及び箕輪登君辞任 につき、その補欠として小泉純也君、松田竹千 代君及び宇都宮徳馬君が議長の指名で委員に選 任された。
同日 委員小泉純也君、佐藤洋之助君及び松田竹千代 君辞任につき、その補欠として西岡武夫君、大 村襄治君及び河野洋平君が議長の指名で委員に 選任された。
○松田竹千代 私は、わが国の海外経済協力の問題についてお伺いいたしたいのでありますが、わが国の海外経済協力もきわめて広範囲にわたっております。私は時間の制約はきちっと守りたいと思いますので、中南米、中近東、アメリカ等はまたの機会にいたしまして、本日は東南アジアを中心として、わが国の経済活動についてお伺いいたしたいのでございます。
同日 委員加藤精三君、倉成正君、齋藤邦吉君、田村 元君、高橋禎一君、中井一夫君及び松田竹千代 君辞任につき、その補欠として岸信介君、松村 謙三君、吉田茂君、佐藤榮作君、石橋湛山君、 大野伴睦君及び河野一郎君が議長の指名で委員 に選任された。
あれを利用して日本の社会革命に役立たせようなどという、そんなチンピラの考え方は別として、一体松田竹千代代議士、今日の大臣は、昔のあの東条内閣を引き倒すときのあの国士的な態度をとれないのか。
文部大臣松田竹千代と衆議院議員松田竹千代の場合は、少し考え方が違ってくる。それでありますならば、この前の、去年の国会にこの改正案を出せば文句はない。それだけの慎重さであれば文句はない。今もうできてからあわてふためいて改正案を出して、これを承認しろ、こういうことではよろしくないと思う。慎重に検討してよろしいとなったときに——それは一年くらい前にちゃんとそういう方針はきまっておると思う。
同月十五日 委員木村武雄君、正力松太郎君、根本龍太郎君、 服部安司君及び平野三郎君辞任につき、その補 欠として佐々木盛雄君、中村寅太君、松田竹千 代君、寺島隆太郎君及び原健三郎君が議長の指 名で委員に選任された。
文部事務官 (初等中等教育 局長) 内藤譽三郎君 文部事務官 (管理局長) 小林 行雄君 委員外の出席者 専 門 員 石井 勗君 ――――――――――――― 四月二日 委員北村徳太郎君、井原岸高君、濱野清吾君、 戸叶里子君及び三宅正一君辞任につき、その補 欠として永山忠則君、堀川恭平君、松田竹千代
太郎君 大蔵事務官 (管財局国有財 産第二課長) 市瀬 泰蔵君 厚生事務官 (引揚援護局援 護課長) 小池 欣一君 通商産業事務官 (通商局次長) 中山 賀博君 専 門 員 佐藤 敏人君 ――――――――――――― 五月十七日 委員松田竹千代